特集Vol.1:「日本プロゴルフ選手権大会」を紐解く

日本で初めて行われたプロゴルフ競技は1926年7月4日「大阪・茨木カントリークラブ」で行われた「日本プロゴルフ選手権大会」である。出場者は6人。地元関西から4人、関東から2人がはせ参じ、1日36ホールのストロークプレーで争うと3人が首位に並ぶ大激戦。さらに36ホールのプレーオフにもつれ込むわ、ルールトラブルで失格者は出るなど盛りだくさんの大会となった。今年で83回目を迎える日本最古のプロ大会。そのルーツをたどり時代を探ると大正ゴルフの遠大なストーリーが見えてくる。

構成/武藤 一彦(ゴルフジャーナリスト)

1901年に誕生した日本初のゴルフ場と、ゴルフの広がり

日本ゴルフの創世記

1901年。日本初のゴルフ場、神戸に開場

神戸・六甲の山頂近くに日本で初のゴルフ場『神戸ゴルフ倶楽部・六甲コース』ができたのが1901年。最初は4ホールでスタートし、1903年に9ホールで開場した。同じ頃、横浜にもゴルフ場が誕生した。横浜港の高台にあった根岸競馬場は、中央が畑地になっていた。競馬場は会員制で、会員の間で「中央部分を家族で楽しめるレクリエーション施設に」という声が上がり、家族の有休施設として1906年『ニッポン・レース・クラブ・ゴルフィング・アソシエーション』通称『根岸ゴルフコース』ができあがった。2,473ヤード、パー33。日本で最初の芝のグラスグリーンだった。六甲に刺激され、1914年に『東京ゴルフ倶楽部・駒沢』、1922年には本格的なチャンピオンコースの『程ヶ谷カントリー倶楽部』と日本に次々とコースが造られた。1924年にはその数は13コースになっていた。

1920年。日本初、プロゴルファーの誕生

日本初のプロゴルファーが生まれたのは1920年。第1号の福井覚治以降、越道政吉、中上数、宮本留吉と、次々とプロが誕生した。

1925年、日本初のプロ大会開催。そして2015年、第82回大会開催へ

波乱に満ちた第一回大会の幕開け

1925年。日本初のプロ大会、「大阪 茨木カントリークラブ」で開催

1925年に造られた『大阪・茨木カントリークラブ』は、あまりにもトリッキーなコースであったため、すぐにリメイクされた。その結果、6,210ヤード、パー72の関西一のチャンピオンコースに生まれ変わった。そのこけら落としとして、大阪毎日新聞社の主催で関西のプロによる「関西プロフェッショナル争奪戦」が企画された。その計画が進むうち、関東の選手も参加することになる。こうして1926年7月4日、第1回目の「日本プロゴルフ選手権大会」が開催された。関西からは、福井、越道、宮本ら4人が出場。関東からは安田幸吉、関一雄が遠征し、試合は計6人で行われた。競技は1日36ホールのストロークプレー。トップタイの場合はプレーオフを一週間後に36ホールのストロークで争うこととした。競技規則はアメリカから取り寄せたUSJA(米ゴルフ協会)ルールが採用された。

まばらな芝、悪天候…波乱の展開

安田幸吉が記した『ゴルフに生きる』には、このような記述がある。「スタート直前だ。お前たちはプロだからノータッチでやれと言われたのにはおどろいた。」茨木は前年の5月に9ホールで開場、10月に残りの9ホールが完成したばかり。まだ芝ツキが悪く、所々に植えた芝が広がるのを待っている状態だった。そのため、普段は誰もがボールを芝の上に乗せてプレーしていた。そんな中での「プロだからノータッチでやれ」という主催者側の発言からは、欧米に遅れてはならないという強い想いが感じられる。また、当日はあいにくの天気で、安田はこうも記している。「7月4日は朝から雨雲が低く、雨脚も小さくなったり大きくなったりの悪天候でした。」「下着までしみる雨の中、泥畑でプレーしているようなもので、176をだしてしまいました。」

第一回大会の幕引き。そして、あらたな時代へ

首位の選手が失格になる異例の事態の中、生まれた日本新記録

悪戦苦闘の中、なんとかホールアウト。結果は宮本、福井、越道がスコア161のトップタイで並んでいた。しかし、ここで問題が発生。越道のウォーターハザードでの処置がどうもおかしい。競技委員会は英文のルールブックを翻訳しながら解決を図り、その結果、越道は失格となった。かくして記念すべき第1回大会で、首位のプレーヤーが失格という異例の事態となった。一週間後の7月10日、宮本と福井による36ホールのプレーオフが行われた。土曜日でメンバーも多数駆けつけ、長丁場を見守った。
プレーオフの結果は次の通り。
 ・宮本留吉 72 81 153
 ・福井覚治 79 81 160
第1ラウンドの宮本が叩き出した72は、当時の日本新記録だった。

そして2015年。第83回大会へ

こうして、7日間に渡り行われた日本初のプロ競技は幕を閉じた。ホールバイホールなどは残されていない。賞金もない。勝った宮本には純銀のカップを縦割りにし、額にはめ込んだプレートが手渡された。それから約90年が経った2015年5月14日。第83回大会が埼玉・太平洋クラブ江南コースで行われた。
先人たちの想いが刻まれた日本最古の大会に、新たなドラマが生まれる。

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